オリンピックを博多に
福岡市長の話を聞く機会がありました。2016年オリンピックを福岡に誘致しようという運動の説明です。福岡を活性化させ続けるためにぜひオリンピックを福岡でやりたいとの趣旨です。
東京オリンピックが1964年その後名古屋や大阪でもオリンピック誘致をしたのですが、うまくいきませんでした。2008年は北京で開催されます。それから更に8年後ということでアジアに順番がまわってくるとしても随分早いようなイメージです。
印象に残ることが2つほどあったので紹介します。
① 最初は誰でも絶対できないと思いバカにする。しかし、現実にできてきたこともいっぱいあるではないか。例えば、福岡から西鉄がなくなり、プロ野球が福岡にはないという状況が続いていた。それをホークスを福岡に誘致しようという運動を始めたとき、大変な笑い者になったし、実現できると信じた者もほとんどいなかった。しかし、結果的には南海ホークスからダイエーホークスとして福岡に誘致でき、更に旧式の球場からドーム球場を作るところまで話が進んでいった。今の福岡にソフトバンクホークスの存在がないということは考えられない。ソフトバンクホークスがよそへ移れば福岡は相当な経済的打撃を受けるであろうとのこと。
考えてみれば、確かにあの当時私も本当にできるのかなという疑問の方がはるかに大きかったのですが誘致できました。裏でどんな政治的工作が行われたかどうかは私にはわかりませんが、可能になりました。(ダイエ-グループは 球団のドーム球場建設のために広い埋め立て地の払い下げを受けた)
確かに、今現在の私の姿を、自分が大学を卒業して就職した当時は想像もつきませんでした。やはり、夢を先に見ることは大切だという市長の言葉は説得力がありました。
② オリンピックを福岡に誘致するために、まず日本国内での誘致候補に選ばれなければなりません。その時のキャッチフレーズが『オリンピックを初心に戻そう』です。実は、現在のオリンピックが国威発揚の場になったのは、ヒトラーの1936年ベルリンオリンピックからです。東京オリンピックも戦後復興を遂げた敗戦国ニッポンの国威発揚の場としてのオリンピックでした。おそらく2008年北京オリンピックもその集大成になるようなものになるでしょう。しかし、ベルリンオリンピック以前クーベルタン男爵が望んでいたのは、世界の片隅に全世界からスポーツマンが集合し、自らの肉体の限界に挑戦して互いに技を競う姿だった。今、21世紀のオリンピックが問われているのは、世界の片隅にある九州福岡のような小さい拠点で全世界のスポーツマンを受け入れる。
しかも、幸い福岡は港がありますので大きな客船を呼び込んで船にオリンピック村を作るとの話でした。また、この推進をするのが東京都庁を設計した名高い磯崎新氏が総指揮をとるとのことであります。結果として、オリンピックに係る費用も従来の3分の1もしくは4分の1程度で済むという説明でした。軽装備のオリンピックというのは一つの魅力的なテーマであろうかと思います。
とりあえず、2006年8月日本国としてのオリンピック候補都市が決定されます。そして、2007年国際オリンピック委員会が開催都市を募集し、2009年に国際オリンピック委員会が2016年オリンピック都市を決定するという流れです。
名古屋や大阪のケースでは、最終的にはボロボロになって敗退していきました。さあ、どうなるのか期待をしながら見守りたいと思います。
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