『釈迦に説法(玄有宗久著/新潮社)』を読む
たまたま飛行機の中に新潮新書の『釈迦に説法』を読んでみました。どうも50歳くらいの小説家兼禅・臨済宗の僧侶の方のエッセイ集とのこと。なかなか仏教に触れることのない私には色々と興味深いことが書かれてありましたが、その中で気に入った言葉だけを一部引用します。
「渋柿のそのまま甘しつるし柿」
「ここで渋と申し上げてきたものは、仏教的には「煩悩」と云う。「煩悩即菩提」という誤解されやすい言葉もあるが、その辺のことを多少解りやすく詠んだ歌があるのでご紹介しておこう。『煩悩が菩提となるのためしには渋柿を見よ甘干となる』」
「人間、ある年齢を過ぎると、加齢にしたがって理論や数字に弱くなっていくのは確かなようである。しかも現在の日本は、そうした理論や数字を異常なほど重視する。だから老年期にさしかかると、次第に衰えていく自分を厭でも感じさせられる仕組みである。しかしそれは、どちらかというと欧米から輸入した考え方の影響である。」
「理論や数字には弱くなっても、人間の総合的判断力は死ぬまで上昇し続ける、という分析がある。ここでの総合的判断力とは、我々がふだん「勘」と呼んでいるものだろう。」
「もっと大事なのは扇や媼たち自身の自覚だろう。自分は総合的にどんどん上昇しているのだ、という自学がご本人にあってこそ、彼らの今が眩しいほどに輝きだすのではないだろうか。」
仏教を何となく分かっているつもりで実は全く学んだことも考えたこともない私には新鮮な言葉に満ちていました。
玄有宗久さんが理解した仏教を、なんとか読者に伝えようという姿勢が滲み出ている本でした。