『会計破綻 ~会計プロフェッションの背信/マイク・ブルースター』を読む
この本は、米国の大手会計事務所アーサーアンダーセンがエンロン事件で崩壊に至るまでの流れを主に米国における公認会計士の発展の歴史から振り返って述べたものです。
イギリスから渡ってきた公認会計士という仕事がアメリカの証券市場の発展とともに証券取引所に上場している会社について監査というものが要求されてくる。国が押しつけたのではなく、民間の必要性として上場会社の監査という仕事が発生し始め、それが1993年証券取引法とSECの設立に伴い、だんだんに強化されてきたという流れがあり、1960年代には監査の黄金時代を迎える。ほとんどの大手会計事務所では収入の8割以上が監査収入でしめられていた。当時は他の会計事務所が監査している上場会社の仕事(監査)を他の会計事務所が横取りしようなどとは予想もされない時代であった。
それが1970年代からの独占禁止法による公認会計士事務所の競争強化をさせようという国の政策により、監査料金のダビング並びにそれまでなかった他の会計事務所がお客様としている会社に対しての売り込み、要するにお客様の取り合いの促進を国がしたために監査料金の大幅な引き下げが始まる。この結果、大手会計事務所は監査報酬で事務所を伸ばすというよりも監査をすることによって、監査をするということは企業の隅々までお金の流れを確認していくことですので、その結果知り得た情報を基にコンサルティングの世界へ容易に進出していくという流れを紹介しています。監査はコンサルティングの仕事を受注するための道具となりはててしまった。儲からない監査の仕事をとるが 同時に高額の儲かるコンサルティングの料金で収益を上げていくという方針にすべての大開系事務所はも猛突進する。そして、コンサルティングへ行き過ぎたために、結局のところ監査がおざなりになり、エンロン事件を引き起こした。エンロン事件以前にも次から次へと大きな事件、監査の失敗が相次いでいたこともあり、エンロン事件が極めて大きな事件であったこともありアーサーアンダーセンの崩壊となったことを伝えています。
(当時私が聞いた話では、アンダーセンは当初エンロンの事件を重要視しておらず それがエンロンからもらっていたアンダーセンの報酬、54億円の報酬のうち27億円が監査報酬 残りがコンサルティングの報酬であったことや起訴されそうな状況で書類を処分し始めたこと、会計事務所を目の敵にしていたやる気満々の検事などもあって 一度に逆境に追い込まれたとのことでした。)
結論を言えば、結局国の競争強化政策がその他のコンサルティングということに監査人達を向かわせ、その結果本来の会計士の成立基盤であった監査そのものの品質を低下させたという問題が書かれています。
話はそこで終わっているのですが、私が聞いたところでは、今、監査に対する米国内での規制の強化、それとアーサーアンダーセンという5大会計事務所の1つがなくなり、4大会計事務所となったことを受け、今米国では大手会計事務所は大変な好況、売上が前年比数十%増加ということになっているとのことです。約20年前には10年間ほど米国の会計事務所の日本法人にいた私としては米国でどういうことが起こっているかなかなかわからなかったのですが、なかなか興味深い話だと思い、460ページもある本を延々と読んでしまいました。
日本の大手上場会社の監査の問題を見てみると、米国の会計事務所の系列下に日本の大手事務所は入っています。日本企業が世界規模でビジネスを展開していますから結局海外の子会社等の監査を行う都合上、必然的に米国4大事務所の系列下に入らざるを得ないということを物語っています。
そして、残念なのは日本国内の監査については監査の隆盛(監査報酬という意味での隆盛)に行く以前に、いきなりコンサルティングという時代の波がやってきたということ、そしてそのコンサルティングについて規制がかけられ始めたために今会計士試験に合格はしたが就職先が不足しているという大きな就職問題が生じている事実と絡み合わせてみると色々思うことがあります。
それと公認会計士の本来の仕事、監査と言う仕事は株主のために利益を測定する、正確に言えば株主や債権者のための財務諸表の正確性を検証していくという仕事であり、決してそこで作る決算書は経営者が会社を経営していくためのものではない、経営者が会社を経営するために役立つ業務として会計事務所に求めたのは、コンサルティングの仕事であるということを改めて再確認させてもらいました。