パーフェクト主義
私の尊敬する稲盛和夫さんが会計のことについて説明した本として『稲盛和夫の実学(経営と会計)/日本経済新聞社』という本があります。
前書きから引用するとこういうことが書いてあります。
『経営者は、自社の経営の実態を正確に把握したうえで的確な経営判断を下さなければならない。そのためには会計にも精通していることが前提となる。
・・・(だめな経営者は)経営者として必要なのは「いくら利益が出たか」、「いくら税金を払わなければならないのか」ということであり、会計の処理方法は専門家がわかっていればいいと思っているのである。更に、会計の数字は自分の都合のいいように操作できる、と考えている経営者さえいる。
(中略)真剣に経営に取り組もうとするなら、経営に関する数字はすべていかなる操作も加えられない経営の実態をあらわす唯一の真実を示すものでなければならない。損益計算書や貸借対照表のすべての科目とその細目の数字も誰から見てもひとつの間違いもない完璧なもの、会社の実態を100%正しく表すものでなければならない。なぜなら、これらの数字は飛行機の操縦席にあるコックピットのメーターの数値に匹敵するものであり、経営者をして目標にまで正しく到達させるためのインジケーターの役割を果たさなくてはならないからである。・・・』
という言葉が続き、更には経営のための会計学という言葉まで用いられています。
会計に関する言葉の中で、完璧主義を貫くという言葉もあります。
『完璧主義とは曖昧さや妥協を許すことなく、あらゆる仕事を細部に渡って完璧に仕上げることをめざすものであり、経営においてとるべき基本的な態度である。
(中略)ところが、経理などの事務職では、間違えれば「すいません、直します」で済んでしまう。私はよく経理部長に「事務屋はそれだからいかん」と言って怒った。ミスを犯しても消しゴムで直せると思っていては完璧な仕事は決してできない。
(中略)完璧主義を全うすることは難しいことだが、その完璧主義を守ろうとする至誠があるから、ミスが起こりにくくなる。
(中略)私の場合、真剣に資料を見つめると数字の間の矛盾やおかしな数字がどういうわけか目に飛び込んでくる。精魂を込めて見ていると、パッと見ていても間違っている数字や問題がある数字がまるで助けを求めるように目に飛び出してくるのである。反対に、事前に数字がすべて十分にチェックされた資料であれば、私がいくら見ていても気にかかる点は見出せない。・・・』
会計事務所で数字に携わるものとして耳痛い言葉です。
数字は完璧でなければならないということはよく言われていることです。経理向きの性格という言葉の中によく小さな数字まで気に掛かるということが経理に向いている性格であると言われています。
私どもは会計に関する数字を扱う仕事ですので、完璧主義を目指してきちんと精魂込め て数字を見つめていきたいと思っています。
数字と経営の実態が合っているのか合っていないのか、数字から見た経営の実態と社長の話から見た経営の実態と、どちらか辻褄が合っている場合には納得できるのですが、その辻褄が合っていないとどうしても気になります。経理の数字が間違っている、つまり実態を正しく捉えていないのか、それとも社長が経営の実態を正しく捉えていないのか、という問題です。
我々には数字を見る目、経営者からは完璧に見てもらっているという信頼があります。その信頼に応えられるよう、我々は真剣に数字と向き合わなければならないと自戒した言葉でした。